2006年06月12日

天国と地獄

夢で思い出したが、これもまた最近見た「過去の光景」なのだが、
それは私がまだ小学校中学年位の頃にある習い事を受けていた時の事だった。
実はかつて私はある芸能事務所の養成学校に通っていた事があった。
きっかけは新聞のテレビ欄によくあった募集広告を見て両親が
勝手に人の名前を書いて応募した事だったのだが
一時期は勝手な真似をしてくれた両親を本気で恨んだ事もあったが
今では1つのちょっとした思い出くらいにしか思わない。
ただ、感謝はするつもりは毛頭ないがな。

そしてオーディションを受ける事となった私は
両親と共に会場へと向かい、写真を撮ったり面接を受けたり
ダンス指導があったり歌わされたり色んな事をやらされた結果
何故か事務所から合格通知が届いてしまった事から
私の天国と地獄の日々が始まった・・・正直天国部分なんて少ししかなかったね!

まず第1に私を苦しめたのは、毎週日曜日のレッスンだった。
合格前まで日曜朝のママレード・ボーイとかご近所物語とか空想科学世界ガリバーボーイ
楽しんだ後に、朝食を摂りながらいいとも増刊号・アッコにおまかせ・
新婚さんいらっしゃい・アタック25
を見て休みを満喫してた
ごく普通の(!?)小学生が、朝も早くから新宿にあるスタジオまで
レッスンを受けに行かなくてはならなかった。
最初は口には出さなかったけれど、本気で嫌だったね。
だってレッスン自体はたかが1時間程度しかないんですよ!
しかもそのレッスン内容は毎週バラバラで器械体操・演技・ダンス・
番組オーディション等をやらされていたのだが
何故かいつもダンスレッスンばかりだったし・・・
でもこのダンスレッスンが唯一気楽でやり易く得意なレッスンでした。
アイマスのダンスレッスンとは大違い!(笑)
それにしても両親は嫌々受けてる私の為に毎月あんなレッスンの月謝として
12000円(税抜)払い続けてたんだよな・・・

今思えば早く辞めたいと強く訴えとけばよかった・・・そういう意味では本当にゴメン。

次に待ち受けていたのは養成学校時代最大の苦難で学校内でのイジメだった・・・
私は毎週レッスンが始まるまでの休憩時間等の間、
ここには書けない理不尽な事をされ続けました。
一時はいつか自分が彼らに殺されるのではないかと思えた時もありました。
だが当時友達の作り方も分からず、誰も助けてくれない中ただ1人耐え続けるしかなかった。
それにようやく出来た仲間もすぐに辞めていってしまった事もあって、
スタジオにいる間はまさに地獄にいる気分でした。
だけど不思議と今はそれをあまり気にしていないんですよね・・・
それに当時の自分なりにスタジオへ行く時の楽しみもありましたしね。

実は毎週日曜日、私は父が車で横浜から新宿まで送迎してくれていたのですが
スタジオに行く際に父が聞いていたラジオが自分にはとても面白く思えたのデス。
ハッキリ言って私はこのラジオを聴く為にレッスンに通ってたと言ってもいいだろう。

そんなの家で聴けばいいのにと思う方もいるだろうが、家にいれば当時の私なら
きっとファミコンをやったり自転車に乗ってちょっとした遠出をしてただろうから
(当時の趣味)ラジオの事なんて浮かんでこなかっただろう。
私にとっては「レッスンの日=ラジオの日」だと思っていたし
この番組さえ父の車で聴きながら会話出来ればそれだけで苦しみを忘れられた。
ちなみにそのラジオは確か・・・TOKYO FMの「森口博子のヒッツインモーション」
だったと思う。どんな内容だったかとかはもう覚えてないけど
流れていた曲は今でもまだいくつか覚えているし今でもプレイヤーに入れて
たまに聴いている。

ちなみに父が体調を崩したり、車が使えない時は丸の内線とかを使って
ただ1人新宿へ通っていましたね。(勿論ラジオプレイヤーを持参して)
だけどよりによって自分がレッスンの為に使った丸の内線でその翌日に
あの「地下鉄サリン事件」が起きた時は、恐怖を感じましたね。

もしレッスンが平日にあったらと思うと、子供ながら少し怯えましたよ・・・

それと私があるオーディションの為にフジテレビ(河田町)を訪れた際に
あの明石家さんま氏と直接会話する機会があり、その事を知らされていないまま
彼の待つ部屋へ連れていかれた時はどれだけ動揺した事か!
だけどそのオーディションでのさんま氏はテレビで見るあの感じとは違い
実にシリアスな雰囲気を出して、メンバー選出をしてましたね・・・

地獄を味わいつつもたまに普段の生活では決して体験できない事も
経験しつつ1年間通い続けたのだが、結局は両親から「もう止めろ」と宣告を受けて
特に抵抗する事無く、普通の男の子に戻りました。
しかし後に父がイジメを受けている事実を知って止めさせたのだと知る。
実はレッスンに通っていた当時は、イジメの事は一切話さなかった。
別にその後の展開が怖かったわけじゃないし、脅されていたわけでもなかった。
ただ・・・学校を辞めると父との2人の時間がなくなるのだけは嫌だったからだ。
たったそれだけの理由の為に、自ら辞めると言い出さなかった自分が
今ではかなり不思議に思えます。

あれから10年以上が過ぎ、私も変わり者だった小学生からダメな社会人になってしまったが
あの時のイジメを受けるきっかけとなった事件だけは、よく考え直してみると
自分にも非があったと今では思える。
だがこの養成学校に通っていた1年間の記憶は今後も忘れる事がないだろう。
本当は殆ど忘れ去ってしまいたい過去だと言える位辛い事だらけだったけど
その中に僅か残された「父と過ごした時間」という名の思い出まで
消してしまいたくはないから・・・

Posted by chronoss_shine at 00:20│Comments(1)TrackBack(0) シリアスモード | 芸能関連

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この記事へのコメント
いよいよドリフトの初日舞台挨拶詳細決定しましたね。
朝9時15分整理券を配布との事で朝まで仕事の為徹夜でいくはめになりました(苦笑)
タイキさんはどうですか!?参加できそうですか?

Posted by シャア at 2006年06月13日 17:46