November 15, 2016

タイキ、ポケットビスケッツをちょこっとだけ熱く語ってみる。

いきなりだけど今回は普段とはちょっと違って、懐かしい話を書いてみようと思う。
このブログを見ている方は「ポケットビスケッツ」をご存知でしょうか?
今となっては20代・30代ホイホイネタとなってしまっており、今の世代の人たちには
このワードを出しても、ピンと来ないらしく衝撃を受けたね。
(ちなみに妹も似たような事があったらしく、ジェネレーションギャップを感じたと言ってた。)

簡単に言えばかつて放送されてたバラエティ番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」にて
誕生した企画ものユニットであり、メンバーはボーカル:CHIAKI
(ココリコ遠藤の元嫁でお馴染みの千秋、設定上12歳らしいw)
キーボード:TERU(GLAYではなく、内村テル)、ギター:UDO(こちらは分かりやすいウド鈴木)の
3人で構成されたユニットであり、ウリナリという番組を盛り上げるのに大きく貢献した存在である。
しかし近年の企画ものユニットの中では、数多くの神曲を生み出し
番組の演出とかを一切考えずに応援できてたユニットだと思ってる。
ポケビの歴史を語り出すとキリがなくなるので、今回はタイキの思い出話程度で
触れていきたいと思ってる。
※ここから先は、説明に説明が必要になる位置いてきぼりになる可能性アリの為、要注意w

・ポケットビスケッツのはじまり
タイキがまだ少年で、Pどころか普通にテレビっ子だった頃のお話。
出会いは勿論番組を見てた事からなんだが、アジア進出を目指してたマッキーという
ユニットメンバー選考から落ちてしまった歌手志望の千秋を気の毒に思ったのか
テル(ウッチャン)の「第2のマモーミモーを作ってやるダニ!」の一言でマッキーより
ポケットビスケッツの応援を決断。そしてフィリピンでのライブ光景を見て
千秋の歌唱力にびっくりしたのを今でも覚えてる。

ポケットビスケッツの初舞台inフィリピン「Rapturous Blue


その結果もあってか、まさかのオリコンランキングではポケビが勝利!
そこからポケビ伝説が始まっていく・・・

・タイキのはじめて
当時ポケビのシングルはカップリング曲がない代わりに500円と超安価で
小学生だった自分でも購入できるのが凄く有難かった。(当時は一般的なシングルは安くて1000円)
その影響もあってかこのデビュー曲を買おうと、自転車で30分以上かかるCDショップまで買いに行ったけど
結局その時は買う事が出来なくて、2ndシングルの「YELLOW YELLOW HAPPY」が人生初購入CDとなる。
(Rapturous Blueは親に頼み込んでレンタルしてもらい、カセットテープにダビングした)
ちなみに今こうやってポケビの事を振り返るきっかけになったのも、久々にこの曲を聴いた事だったりする。

YELLOW YELLOW HAPPY




・もはや企画ものユニットの枠を超えたポケビ!
3曲目の「Red Angel」をリリースした時には、オリコン初登場時に当時大流行してた
globe(その時はFACEという曲をリリース)よりも上の順位である2位という
輝かしい結果をたたき出したポケビ(globeは3位)
この曲に関しては、聴き込むのは勿論振付も出来るようになってた。
先日もカラオケで歌ったばかりなのだが、自分で歌うならイエローよりもレッドの方がやりやすい。

Red Angel


・ポケビ(ウリナリ)史上最大の悲劇・トラウマ→再起を賭けた感動の署名運動
ポケビを語る上ではやはりこの話題は欠かせない。
ポケットビスケッツの活動の勢いが増していき、ライバルユニットのブラックビスケッツまで登場し
遂にはお互いの新曲を賭けた対決まで行われるようになったのだが
ポケビは「MY DIAMOND」という曲をリリースする為に、ブラビと戦うが敗れてしまう。
(この背景で生まれたのが、ブラビ2ndシングルのTimingである。)

敗れたポケビへの罰は、「MY DIAMOND」のマスターテープ(CDの原盤となるテープ)を
自らの手で破壊するという、あまりにも残酷なものだった。
(マスターテープをのせた台に鉄球を落として破壊するが、テルがそのスイッチを押さなければならなかった)
個人的にはTimingよりもMY DIAMONDを望んでいただけに
この結末はあまりにもショックだったのは今でも覚えてる。

しかしそんな中でも俺たちファンはポケビの新曲を待っていた。
だがポケビの新曲をリリースするには、100万人分の署名を集めなければならくなってしまう。
現在ならばインターネットを用いれば、それ程難しくもないが当時はまだネットの時代ではない為
実際に数多くの人からの署名を集めなければならず、うちの小学校もこの署名運動を行っていた。
勿論その運動に参加して署名をしたのは言うまでもない!
そして署名運動の結果・・・見事178万4892人の署名を集める事に成功する。
(この数字は今でも鮮明に思い出せるし、署名運動に参加した事がタイキの半生の
数少ない誇りだと今でも思ってる。)
こうして、感動を呼んだ署名運動によって・・・「POWER」が生まれた。

POWER


POWERのMVは今見ても涙腺へのダメージがヤバ過ぎて困る。
ちなみにポケビは後にファンの後押しによって、当時ウリナリを仕切っていた(という設定の)
ウリナリ審査委員会との死闘に勝利し、MY DIAMONDを復活させる事に成功する。
この時の喜びは思春期を迎えた少年らしくない大はしゃぎだったのはここだけの話(苦笑)

MY DIAMOND



最終的にポケビという存在が千秋の歌手活動の幅を狭めてると判断した
テルの決断で活動を休止してしまったのだが、ポケビが当時のタイキ少年を
大いに夢中にさせてくれた事は、大人になった今でも決して忘れる事はない。
唯一悔やまれるのは、ポケビライブを1度も参加できなかった事かな。
(ポケビとしての独立したライブはなく、あくまで番組の企画の為、あっても抽選だった)

あぁ〜本当はもっと色んなエピソードがあるんだけど、どえらい長さになりそうだったから
今回はここでやめる事にする。(だからブラビには触れられなくて申し訳ない)
Posted by chronoss_shine at 03:01│Comments(0)TrackBack(0) 芸能関連 | シリアスモード

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